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千葉地方裁判所 昭和35年(ワ)189号 判決

原告 甲野太郎(仮名)

右訴訟代理人弁護士 牛島定

同 白井茂

被告 乙山二郎(仮名)

右訴訟代理人弁護士 佐久間和

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金五〇万円およびこれに対する昭和三五年九月一七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、左のとおり陳述した。

≪以下事実省略≫

理由

一、亡A(明治八年五月生れ)が北海道から昭和七、八年頃○○県○○郡○○村(昭和二九年一〇月一日行政区画の変更により○○町となる。)○○○○番地に帰郷したこと、Aには実子がなく、かつ昭和一〇年一二月七日妻Bが病死し孤独となつたのでその頃Aの実妹Cの長女でAと伯父・姪の間柄のD(大正四年九月生れ)を養女に貰い受けて引き取り、同一一年二月一一日これが養子縁組の届出を了したこと、Dが姙娠し同年一一月三日東京の病院で分娩しEを生んだこと、そこでAはその従兄弟のFと協議の上、同人の子G(被告の実兄)、同H夫婦にEの始末一切を託したことから、G夫婦はEを引き取り同人ら夫婦の実子として出生届をすませ、かつ養育をしてきたこと、原告は昭和一二年二月三日Aの養子になると同時にDと結婚して同棲生活に入り、昭和一四年四月二一日これが養子縁組および婚姻の各届出をなし、爾来Dとの間に四児を儲けたこと、D、F、G、AおよびKがいずれも原告主張の各日に死亡したこと、Hが千葉家庭裁判所に同庁昭和二八年家(イ)第七号親子関係不存在確認の家事調停を申し立て、同年一月二〇日同裁判所で「EはHの子でないことを確認する」旨の審判を受けた上、同年二月二〇日Eを自己らの戸籍から除籍の手続を了したこと、ついで被告はEの後見人として検察官を相手方としてかねてより申し立ててあつた同裁判所木更津支部昭和二七年家(イ)第五四号親子関係存在確認調停事件につき昭和二八年二月四日同支部で「Eは亡Aと亡Dの間に生まれた子であることを確認する、Eの本籍を○○県○○郡○○村○○番地に創設する」旨の審判を得、これに基づき就籍許可の審判を受けた上、同年四月一四日所轄○○村役場にその旨の届出をすませたこと、しかしながら右届出によりEを亡Dの子として就籍することはできたけれども、亡Aの子としての戸籍の記載を受けられなかつたこと、そこでさらに被告はEの後見人として同人を代理し検察官を相手方とし千葉地方裁判所木更津支部に昭和二八年五月八日認知の訴(同庁同年(タ)第一号事件)を提起し、亡Aと亡Dが私通してEが生れた旨の事実を主張し、同年八月一二日同裁判所でEが亡Aの子であることを認知する旨の判決を受け、右判決確定の後である同年九月二六日前記○○村役場にその旨の届出をしたこと、原告が右認知の確定判決につきEおよび検察官を相手方として昭和三〇年一一月一〇日千葉地方裁判所に再審の訴を提起し、審理の結果同裁判所は昭和三五年一月三〇日右認知の確定判決を取り消し、Eの認知請求を棄却する旨の判決を言渡し、右再審判決は確定したこと、しかして被告は原告に対し昭和二八年一一月一八日付Eの後見人名義の書面で原告主張のとおりの通告を発した上、さらに後見人としてEを代理して原告を相手方とし千葉地方裁判所木更津支部に申請の理由として原告主張のとおりの事実を主張して仮処分を申請し、同月二五日原告主張の山林、原野一六筆につき原告の立入りおよび右地上の立木伐採・振出などの処分を各禁止する旨の仮処分決定(同庁同年(ヨ)第二四号事件)を受け、同月二九日その執行をなしたが、昭和二九年二月一〇日原告から右仮処分決定につき異議の申立てがなされ、同裁判所でこれが仮処分異議事件(同庁同年(モ)第一一号)の審理の結果、同年八月一八日右仮処分決定取消の判決が言渡され、これに対し被告側から控訴したが、控訴審は昭和三〇年一二月二六日控訴棄却の判決を言渡し、ここに右第一、二審判決の確定をみたこと、また被告は前記仮処分申請と相前後して後見人としてEを代理して昭和二八年二月二一日千葉地方検察庁木更津支部に原告主張のとおりの犯罪事実を記載した告訴状を提出して原告を告訴し、これがため原告は昭和二九年二月一〇日および同年三月四日の両日検察官の取調べを受けたが、その後昭和三一年四月四日被告が右告訴を取り下げたこと、原告が家屋敷のほか耕地一町数反を所有して農業を営み、居村の森林組合長を勤めていること、はいずれも当事者間に争いがない。

二、原告は、被告は伯父、姪の間柄にあるAとDが魄悪、不倫な私通行為を敢てし、よつてEが生れたというような虚偽の事実を主張して認知判決を受けたことによつて、原告をして不倫の子EとともにAの共同相続人たる立場にたたせて原告の名誉を毀損したと主張するので、考えてみるに、被告がEの後見人として同人を代理し検察官を相手方とし千葉地方裁判所木更津支部に昭和二八年五月八日認知の訴(同庁同年(タ)第一号事件)を提起し、亡Aと亡Dが私通してEが生れたとの事実を主張し、同年八月一二日同裁判所でEが亡Aの子であることを認知する旨の判決を受け、右判決確定後の同年八月二六日○○村役場にその旨の届出をなしたこと、亡Aと亡Dが伯父、姪の間柄にあつたこと、原告が昭和一二年二月三日Aと養子縁組をなし、昭和一四年四月二一日右縁組の届出をしたものであること、Aが昭和二七年五月五日死亡したことはいずれも前記のとおり当事者間に争いがないから、法律上、右縁組の届出の日から養親たるAの嫡出子たる身分を取得した原告が、右認知の確定判決により出生の時にさかのぼつてAと法律上の親子関係を生じたEとともに、Aの死亡により開始した遺産相続上、共同相続人たる地位にたつに至つたことはいうまでもないところである。しかしながら、伯父、姪の間柄にあるAとDの間で私通の結果Eが生れたなどとの虚偽の事実を主張してその者らの死亡後Eの認知訴訟を提起し、追行することは死者たるAやDを大いに冒涜するものであることは多言を要しないけれども、右訴訟についての認知の確定判決のため被告がEと共同でAの遺産相続人の地位にたつことになつたからといつて、原告が、相続上、Eに割り込まれてその相続権を害されたか、もしくは相続権を害される虞があつて、その利害に影響があるのは格別、Eが不倫ないし乱倫子と呼ばれることがあるにせよ、それは伯父、姪の間柄のAとDの間にあつたとされる私通行為の反映に過ぎず、E自身に些かも責められるべきところはないのみならず、認知の確定判決によつてEとAの間に法律上の親子関係が形成されても、Aの養子である原告とEの間にはなんらの自然血族関係も生じないから、原告がEとともにAの共同相続人たる立場にたつたということだけでは、これにより原告の名誉が毀損されたと解することはできず、しかして右のように原告がEとともにAの共同相続人たる立場にたつたことによつて親戚、知己その他世間一般から蔑視を受けたとの原告主張事実もこれを認めるに足りる証拠はない。よつて原告の名誉が毀損されたことを前提としてその損害の賠償を求める原告の右主張は失当といわねばならない。

三、つぎに原告主張の仮処分申請および告訴による名誉毀損を原因とする損害賠償請求権の成否を措き、被告の消滅時効の抗弁について判断する。

思うに民法第七二四条は、不法行為による損害賠償請求権は被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知つた時より三年間これを行使しないときは時効により消滅すると規定しており、右に損害を知つた時とは加害者の違法行為による損害の発生の事実を知つた時と解すべきであり、しかしてその認識の程度としては、単に疑いを抱いたり、想像や推測だけでは足りないけれども、いやしくも被害者またはその法定代理人が損害賠償請求権を行使するか否かの決意をなし、かつそのための証拠資料の取集などの措置を実行しうる程度に要件事実を確実に認識すれば足りると解するのが相当であるから、以下この観点から順次検討する。

(一)  原告がその主張の不動産一六筆をAから贈与を受け正当に所有するものであるのに、被告は後見人としてEを代理して原告がA名義の私文書を偽造、行使し、かつ登記簿に不実の記載をなさしめたとの虚偽の事実を主張して千葉地方裁判所木更津支部に仮処分を申請して原告に対する仮処分決定を受け、これにより原告の名誉を毀損し精神的損害を与えたと主張して右損害の賠償を求める点につき、その損害賠償請求権の消滅時効の起算点として、被告は、原告主張の仮処分決定に対し原告が昭和二九年二月一〇日その主張の裁判所に異議の申立てをなし、同年八月一八日同裁判所が言渡した被告側敗訴の右仮処分異議事件判決に対し被告側が控訴し、昭和三〇年一二月二六日被告側敗訴の控訴審判決の言渡しがあつて、右第一、二審判決は確定したものであるので、原告において右仮処分異議の申立てをなした日、仮りにそうでないとしても右仮処分異議の控訴審判決が確定した日には損害および加害者を知つたから、そのいずれかの日の各翌日をもつて民法第七二四条の三年の消滅時効の起算点とすべきであると主張し、被告が後見人としてEを代理して原告を相手方とし千葉地方裁判所木更津支部に原告主張のとおりの事実を主張して仮処分を申請し昭和二八年一一月二五日原告主張の不動産につき仮処分決定を受け、同月二九日その執行をなしたが、原告から右仮処分決定に対し昭和二九年二月一〇日異議申立てがなされ、同裁判所でこれが仮処分異議事件(同庁同年(モ)第一一号)の審理の結果、同年八月一八日右仮処分決定取消の判決が言渡され、これに対し被告側が控訴し、控訴審は昭和三〇年一二月二六日控訴棄却の判決を言渡し、右第一、二審判決が確定したこと、原告が家屋敷のほか耕地一町数反を所有して農業を営み、居村の森林組合長を勤めているものであることはいずれも前記のとおり当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、右控訴審判決は、原告がAの印章を盗用してほしいままに同人名義の私文書を作成、行使したとの被告主張事実は認められないとしていることが明らかである。

よつて消滅時効の起算点につき調べてみるに、債権者が仮処分申請の理由として主張した事実が債務者の名誉を毀損し精神的苦痛を生ぜしめたとしても、債権者の右主張事実が虚偽のもので、その執つた仮処分手続が不当であるか否かは裁判上確定されるまでは債務者に容易に認識し難いことであつて、債務者が右仮処分決定の執行を受け、あるいは右仮処分決定に対し異議の申立てをなして争つても、損害発生の事実を知るのは格別、未だそれが不法行為に基づく損害であるとの認識が得られず、裁判上確定して始めて債務者が右不法行為に基づく損害賠償請求権を行使するか否かの決意をなし、かつ証拠その他の資料収集の措置を採りうる程度に要件事実の確実な認識が得られるものであるから、かような損害賠償請求権に関する民法第七二四条の消滅時効は、債権者の右主張事実が認められることなく仮処分決定の不当なことが裁判上確定したことを債務者が知つた時から進行するものと解すべきところ、本件において原告は、前記のとおり昭和二八年一一月二九日被告から前記仮処分決定の執行を受けたもので、原告本人の供述によれば、原告は、当時、肩書住居地で農業を営む傍ら居村の森林組合長を勤め(右事実は前記のとおり当事者間に争いがない。)ていたほか、学校P・T・A会々長、居村農業協同組合の理事などの職に就き、このような社会的地位にあつたことなどにかんがみ右仮処分が居村内に喧伝されたため、これにより原告は精神的苦痛を受け、かつその損害発生の事実を知つたことが認められるところ、右仮処分決定は原告の異議申立てに基づく異議事件の審理の結果、これを不当として取り消す旨の第一審判決があり、被告側は控訴して争つたが、控訴審もまた被告の前記主張事実が認められないとして控訴棄却の判決を言渡し、ここに右第一、二審判決の確定をみたことは前記のとおりであり、そして原告が昭和三一年一月五日右控訴審判決正本の送達を受けたとの被告主張事実は原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきであり、してみると反対の事情の認められない本件においては原告は右送達を受けると同時にこれによつて前記精神的損害が被告の不法行為に起因することを冒頭説示の程度に確実に認識したと認めるのを相当とする。

そうだとすれど、原告主張の右損害賠償請求権につき、被告が主張する消滅時効の起算点は、原告が前記仮処分異議事件の控訴審判決正本の送達を受けた日の翌日である昭和三一年一月六日というべきである。

(二)  また、被告がEを代理して原告主張のような虚偽の犯罪事実を記載した告訴状を検察庁に提出して原告を告訴し、原告をして検察官の取調べを受けさせたことにより原告の名誉を毀損し精神的損害を与えたと主張して原告が右損害の賠償を求める点につき、その損害賠償請求権の消滅時効の起算点として、被告は、原告は右告訴事実につき昭和二九年二月一〇日および同年三月四日検察官の取調べを受けたが、その後被告は昭和三一年四月四日右告訴の取下げをしたから、原告は右取調べを受けた日、仮にそうでないとしても右告訴取下げの日には損害および加害者を知つたから、そのいずれかの日の各翌日をもつて民法第七二四条の三年の消滅時効の起算点とすべきであると主張し、被告が後見人としてEを代理して原告主張の各日に、その主張のとおりの犯罪事実を記載した告訴状を検察庁に提出して原告を告訴し、そのため原告が検察官の取調べを受けたけれども、その後被告は右告訴の取下げをなしたことは前記のとおり当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、被告が原告を告訴するにあたつて右告訴状に記載した犯罪事実は、被告が前記(一)の仮処分手続で申請の理由として主張した事実とほぼ同一であることが明らかである。

よつて消滅時効の起算点につき考えてみるに、被告訴者は捜査機関の取調べを受けただけでは、精神的苦痛を生じ、かつその損害発生の事実を知ることがあつても、告訴事実が虚偽のもので、告訴者の執つた告訴手続が違法であるか否かは、告訴事件についての起訴がなされない場合はその事件が嫌疑なしとの理由で不起訴処分に付されるなど自己の潔白を確信しうるなんらかの事情がない限り、容易にこれを知り得ないところであつて右損害が不法行為に基づく損害であるとの認識が得られないであろうけれども、右の不起訴処分その他自己の潔白を確信しうるなんらかの事情が生じたときは、被告訴者としても不法行為に基づく損害賠償請求権を行使するか否かの決意をなし、かつ証拠その他の資料収集の措置を採りうる程度に要件事実に対する確実な認識が得られるから、かような損害賠償請求権に関する民法第七二四条の消滅時効も、不起訴処分その他自己の潔白を確信しうる事情があることを被告訴者が知つた時から進行するものと解すべきところ、原告主張の告訴事件について起訴がなされたことの主張、立証のない本件において原告は、前記のとおり被告から昭和二八年二月二一日告訴を受け、その後昭和二九年二月一〇日および同年三月四日の両日に亘り捜査機関の取調べを受けたものであるが、原告本人の供述によれば、原告は前記(一)で認定したようなその社会的地位などにかんがみ、原告に対する右告訴および捜査機関の取調べが村内に喧伝されたため、これにより精神的苦痛を蒙り、かつその損害発生の事実を知つたことが認められ、しかして被告が昭和三一年四月四日右告訴を取り下げたことは前記のとおりであつて、被告本人の供述および弁論の全趣旨によれば、原告は同日右告訴取下げの事実を知つたことが認められ、このことに前記(一)で述べたとおり右告訴事実とほぼ同一の事実主張のもとに被告が申請した仮処分手続についてはこれよりさきすでに同年一月五日被告の右主張事実が認められないとする仮処分異議事件の控訴審判決正本が原告に送達されていたことを考え合せると、他に反対の事情の認められない本件においては原告は右告訴取下げを知つた日に自己の潔白を確信するとともに前記精神的損害の原因たる被告の不法行為をも冒頭説示の程度に確実に認識したと認めるのが相当である。

そうだとすれば、原告主張の右損害賠償請求権につき、被告の主張する消滅時効の起算点は、原告が右告訴取下げの事実を知つた日の翌日である昭和三一年四月五日というべきである。

(三)  してみると、原告主張の前記(一)の損害賠償請求権については、仮にそれが成立したとしても、昭和三一年一月六日から起算して三年を経過した昭和三四年一月五日の満了とともに、前記(二)の損害賠償請求権については、仮にそれが成立したとしても、昭和三一年四月五日から起算して三年を経過した昭和三四年四月四日の満了とともに、いずれも民法第七二四条所定の短期消滅時効が完成したものというべきところ、本訴提起の日が右時効完成後の昭和三五年八月八日であることは訴状に押捺されている受付印によつて明らかであるから、被告のこの点に関する消滅時効の抗弁は理由がある。

四、よつてその余の争点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀部勇二 裁判官 岡村利男 若林昌俊)

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